ヤマカワラボラトリ

ことばとおんがくがすきなめんへらさん、ヤマカワの研究所。

00508_あこがれ

以前私が書いた記事を、すいまーさんがご紹介してくださいました。

ありがとうございました。

 

suima14.hatenablog.com

 

自分が書いたことが人に影響を与えて、その人が文章を書くことにつながった。

とてもうれしいことでございます。

よく考えれば、元になった私の記事も、シロクマ先生のブログを引用したからだしね。

 

こんな風に、文章とか言葉を以て人とつながっていく、ということはとてもありがたい、すばらしい、意義あることだと思える。

 

すいまーさんのブログでは、「できない理由をさがして、やりたいことをしなかった」ということが書かれていたかと思います。

そんな中でも、不安に思う力のコントロールとか、試そうと努力されている。

「いろんな可能性や自分を否定することに飽きてきました。」というところも共感しました。



私も結構できない理由を探してしまうタイプの人間です。

お金がない、経験がない、若さがない、体力がない、やる気がない。

 

一方で、妄想と言うレベルで言えば「あれができそう!」「これもできそう!」と思ってしまいがちな人間でもあります。

文章を書いてバズらせたりとかさ、すごい小説とか書いたりとかさ、カッコいい音楽をつくったりとか……

そういう妄想をしているときは、とても楽しい。気分が高揚していきます。

 

ところが、いざ実践しようとすると、「〇〇がない」状態に戻って、現実を何も変えないのです。しばらく置くと、また「前あきらめかけたけど、もう一度チャレンジしてみよう」と思い立ち、ループが始まります。

 

「できない理由を挙げる」「やりたいことを妄想する」と言うのには共通点があって。

その心は、「どちらも現実逃避でございます」ということ。



できない理由を挙げずに、まずは何でもやってみる。

なら、現実が変わると思うし。

やりたいことの妄想ループを止めるなら、ちゃんと諦めること、やらないことも必要だと思う。

あくまで私の場合ですけどね。

 

ちゃんと諦める、うまく諦めるというのはどうしても難しくて。

未だに、書きもしない小説が大ヒットしたりして、何ていう陳腐極まりない妄想に浸ると気があります。

もっと現実を変えることにエネルギーを費やしたいよね。あぁでも、そうやって途方もない妄想で心を鎮痛することで、日々働いたりできているのかもしれない。それも必要な作用なのかもしれない。非合理なものを切り捨てすぎることも、合理的ではないのかもしれん。

 

なりたい自分の姿と言うのは、人それぞれだと思います。

やりたいことを手広くやれる、という人になりたい思い。

一つのことを徹底的に極められる、という人になりたい思い。

色々な思いがあると思うし、あっていいと思う。

 

私はどうなりたいかな。

仕事でも趣味でも、具体的に何かできる人になりたい、かな。

考えが抽象に行き過ぎたり、言葉遊びでふわふわとしてしまったりする。

そんな自分には良いところもあるんだろうけど、もう少し現実的に。地に足の着いた人間になりたいな、という思いがあります。

細かくは色々あります。まずは好きな曲のギターソロをミスせず人に聞かせられるレベルで弾けるような人間になりたいな。練習しよ。

00507_ワンオブゼム

その他大勢の一人として、普通の自分を生きていくということ。

それをしっかりやっていくということ。

「この程度でしかない」と自分を卑下してしまうけれども、

「その他大勢」をしっかりやることだって、結構大変なことだと思う。

 

目立つような存在でなくても、派手にしている存在ではなくても。

生活していくだけでもしっかり役割を果たしている。

もちろん、現状に甘んじ続けていいというわけではないんだけど。

一歩ずつ成長は続けていきたいと思うんだけど。

 

突拍子もない逆転人生、みたいなことを妄想することも多くて。

そういうことで、将来の方針がブレブレになってしまうことが多いと感じている。

 

決めることが簡単すぎる。

決めたことを続けることが難しすぎる。

 

決める時、実現可能性を十分に吟味できていない。安直にパッと「これやろう!」みたいにしてしまう。

思い描く理想が楽観的過ぎる。

今「無難」として取っている選択肢だって、全然楽ではない。適性があるかもわからない。そうなると、今度「自分に向いてるわけではないし……」と、別の選択肢を検討する原因になってしまう。

 

苦手なら苦手なことをどう克服するか。

出来ている部分にもしっかり目を向けて。

やるべきことから逃げずにやっていくのだ。

00506_自宅改善

コロナのご時世、「自宅の居心地を上げる」ということに取り組んでおります。

 

と言っても、そんなに大それたことができているわけではないのですが。

先延ばしにし続けていた家具をついに購入したり。

ゲームを買ってやりこんだり。

家で朝飲むコーヒーをちょっといいやつにしたり。

などです。

 

自宅改善、というと「新しいものを取り入れる」方に目が向きがちですが、どちらかと言うと必要なのは「不要なものを処分すること」のようにも思います。

古い服とか全然処分できていなかったんだけど、先日ようやく処分することができました。

ものが多すぎると片づけるのがどんどんむずかしくなる。

 

どんどん新しい方へ広げていきがちで、あんまり深めたり質を高めたりということをしてこなかったけれど。

今あるものを大切にしてやっていくことも大事だよなと思えて来ました。

 

まずは余裕を作るところから。

何かと焦りがちだから。こんな時こそ気持ちに余裕を。

00505_現実をやっていく

p-shirokuma.hatenadiary.com

 

 

古い記事ですが、シロクマ先生の記事を読んで色々と思うことがあり、文章を書きます。

やらないでいれば「できるかもしれない自分」を保ち続けることができる。

可能性の中に逃げることができる。

「できない自分」と直面しなくて済む。

 

そういうの、私自身がずっと取ってきた姿勢だと反省しました。

誰かのせいにして、何もしない。

言い訳を先に考えて逃げる。

そういうカッコ悪い自分を、自分が一番よく知っている。

 

できない自分と直面して、それでも凹まずに取り組んでいく。

そういう風にしてしか、できることは増えていかない。

 

「もう何十年も逃げる生き方してきた。逃げ癖、今更直るのだろうか」

そんな風に思うこともある。

それでも逃げ続けていたら直るものも直らない。

今のままじゃ嫌だと思うなら、時間をかけても改善していかなきゃいけない。

 

やってもできるようになるとは限らない。

しかし、やらないとできるようにはならない。

やりたいならやらなければ。

簡単なことからでいいから。

00504_立場

騒がしい世情を受けて、改めて「立場によって意見が変わる」という事を実感しました。

 

感染拡大のため自粛を、と考える立場。

自粛ゆえに経済が回らない、自粛すべきでない、と考える立場。

 

どちらにも、命に係わる切迫した危機感がある。

もちろんこれは一例で、人の数だけ考え方があると思う。

 

立場によって人の考えることは違う。

今まで「色々な立場の人の考えをできるだけ理解しよう」と思うようにしてきたけれど。

そういうスタンスが持てるのは、自分の立場がとても「恵まれていた」からなんだと思う。

切羽詰まれば「そんなこと言ってる場合じゃない」と、相手の意見を退けようとする。

そうなると思う。

 

立場に縛られてやりたいことができないなんて、自分らしくないじゃないか、みたいな。

そういう反論こそ「そんなこと言ってる場合じゃない」ってなるかな。

立場って、足を置く場所ですよね。それが崩れたら立っていられないってことですよね。

大事だと思うんです。どちらの立場でも。

 

切羽詰まった中で、自分に何ができるか。

問題はできるだけ細かく具体的にする。

異なる立場の意見を聞く余裕を持つ。

 

こんな中で自分に何ができるかを考える。

00503_できることをするしかない

何かと騒がしい日々ではありますが、それでもできることをするしかない。

これは日常でも同じことですが。

「何かできることはないか」と考えることはもちろんある程度必要なんだろうけど、そればかり考えていて他をおろそかにしたり、「これならできそう」と思ったことをやれなかったり、やってることを続けられなかったり。

 

日々是実践。

机上で考えるだけじゃなくて、考えたことをやらないといけない。

やったこと、現実にあったことから考えを始める。

良いこと、悪いことの原因を考える。

それを次につなげる。忘れない。

次に「こうしよう」と決めたことができなかったとき、どうしてそれが出来なかったのかを考える。

 

考える、もそれだけだと見えづらい。

紙に書く。PCでまとめる。言語化

00502_インターネットポエム

仕事も趣味も続かない。

すぐに飽きて投げ出したくなる。つらいことからすぐ逃げる。

そんな自分のルーツというか、変わらないものって何だろう。

そういう話をしたときに「インターネットポエム」と言うものが出てきました。


今では廃れたSNSで思ったことを書いたり、大学時代に文学的なことを勉強していたり、作詞をしたりブログを書いたり。Twitterも含まれるかな。


他の人から見たら恥ずかしいようなポエム(笑)を、もう十六年以上書いている。

笑われるのは恥ずかしい。

そして、他人が笑うのを止めることはできない。


笑われてもいい、と思うように心を整えること。

笑われないくらいよいものを書くこと。


見ていて痛いものでも、突き抜ければ価値が出るんじゃないか。

インターネットにポエムを流したがる自分の性質はなかなか変わらないと思う。

そんな自分を否定せずに生きていきたい。